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【富士銀行行員顧客殺人事件】事件と岡藤輝光の現在を探る

2023年6月13日放送の日本テレビの仰天ニュース
題材は
’’悪魔になった銀行員・・・顧客を殺害した富士銀行エリート社員の謎’’
です。

今回はこの事件の内容と犯人・岡藤輝光の現在と生い立ちをまとめています。

事件の概要

埼玉県南埼玉郡宮代町で1998年7月2日に発生した殺人事件。

富士銀行の現役銀行員が自行の顧客を殺害した事件として注目されました。

事件発生までの流れ

被害者は埼玉県内でマッサージ店を営む
福田次郎さん(当時74歳)と妻の福田ツネさん(当時67歳)の2人。
次郎さんは全盲、ツネさんは背骨に障害がありました。

福田さん夫妻はバブル景気の1988年に東京都台東区の自宅を売り払い、約1億円を手にしました。
それを元手に埼玉県宮代町に家を購入。

残った5,000万円を富士銀行の春日部支店に預けて以降、
10年ほど富士銀行との取引を続けていました。

1996年に福田さん夫婦の担当となった富士銀行行員の岡藤輝光。
事件のきっかけは、岡藤が1997年に埼玉県春日部市内の運送業者から融資を依頼された事に始まる。

バブルが崩壊した後の当時は’’貸し渋り’’が始まっており、この運送業者は銀行の融資基準を満たしていなかった。

そこで岡藤が考えたのが’’浮き貸し’’という方法。

これは「ある顧客の預金を別の顧客に貸す」禁止されている違法行為。
岡藤は、福田さん夫妻の預金を利用。

「特別な定期預金がある」と偽って、これまでの定期預金を解約させ
2,500万円を運送業者に貸し付け。

実は岡藤が’’浮き貸し’’を行ったのは、これが初めてではなかった。

1996年にも3,000万円を土建屋に不正に融資しているが、この時は約束通り返済されていた。
なんとこの時に利用していたのも福田さん夫妻の定期預金だった。

事件の発生

福田さん夫妻が、岡藤に勧められた定期預金の運用に疑問を感じ、
1998年6月26日に、解約と返金を岡藤に依頼。

岡藤は仕方なく「7月2日に定期預金の一部の1,500万円を返金する」と
自身の名刺の裏に書いて、夫婦に手渡した。

7月2日にした理由は、6月30日に運送業者より2,500万円が返済される予定になっていた為である。

しかし岡藤の予定通りにはいかず、6月30日に運送業者は2,500万円の返済が出来なかった。

ここで7月2日まで時間のない岡藤に辞令という不運が重なる。
7月10日付で本店融資部への異動が決まったのだ。

本来であれば嬉しい話だが、この時の岡藤にとっては厄介な話であった。
福田さん夫妻の不正の件が発覚すれば、懲戒解雇にもなりかねない。

福田さん夫妻の担当を外れれば、確実に不正がバレる。
追い詰められた岡藤がとった方法が殺害であった。

返済約束日の7月2日

殺害用のビニール紐を持って、営業車で福田さん夫妻宅へ向かった岡藤。

夫妻に異動が決まったことを伝え
最後の親孝行として肩もみをさせて欲しい
と言い、妻のツネさんの背後にまわり
首を締め上げて殺害。
その後、目の見えない次郎さんも首を絞めて殺害。

証拠隠滅の為、家ごと放火しようとした岡藤ですが、ガス栓がうまく開かなかった為に断念。
家の中を荒らして強盗殺人を装い、家から去った。

殺害後の岡藤

福田さん夫妻を殺害した後も岡藤は、変わらず出勤して働いていたとのこと。

事件が発覚したのは2日後の7月4日。
発見したのは岡藤の前に福田さん夫妻を担当していた富士銀行の行員。
マッサージを受ける為訪問したことで事件が発覚。

その後、捜査の早い段階で岡藤に目をつけていた警察は7月8日に岡藤を事情聴取。
逃げられないと観念した岡藤は犯行を自供し、強盗殺人罪で逮捕された。

以上が事件の流れです。

判決

1999年9月30日、浦和地方裁判所は岡藤輝光に対して無期懲役の判決を下しました。

岡藤自身は強盗については否認、殺人のみ認めていましたが、
検察の起訴の通り、強盗殺人罪を認めての量刑でした。

死刑とならなかった理由については

ポイント

・富士銀行が多額の賠償金を支払ったこと
・犯行理由が「追い詰められた末の行動で、私利私欲の強盗殺人ではなかった」

などが挙げられた。

検察の死刑求刑に対し無期懲役になったことを不服とし、
検察及び遺族は控訴。

2000年12月に東京高等裁判所がこれを棄却、
岡藤輝光は無期懲役となりました。

岡藤輝光の生い立ち

岡藤輝光は1966年7月17日生まれ、福岡県福岡市の出身。
トラック運転手の父と酒店経営の母、弟と妹の3人兄弟の家庭で育ちました。

高校時代は筑紫高校で強豪のラグビー部所属。
2年生の時には花園にも出場。

大学は福岡大学体育学部へ推薦入学。
ラグビーを続け、3年時にはレギュラーになり大学選手権に出場、4年時には副主将になったほど。

性格は穏やかで、まわりがサボっていても手を抜かない努力の人だったそう。

富士銀行への就職

岡藤が就職した富士銀行のような大手の銀行は、本来であれば早慶レベルの学力が必要でした。

しかしバブルの真っ只中だった当時、富士銀行の営業拡大戦略のもとに、
熱意と体力にある体育会系の人材を積極的に採用しよう!
との方針になっていました。

岡藤もこの方針のもとに採用されたバブル大量入社組。

融資担当として
東京・竹の塚支店、
九州・門司支店、北九州支店と回り

1996年4月に埼玉・春日部支店に異動し、渉外担当となる。

事件当時の家族構成

1998年の事件当時、岡藤は結婚していました。

妻は大学時代に知り合った3つ下の後輩でラグビー部のマネージャー。
春日部支店に異動になる直前に結婚し、
事件当時3歳と1歳の2人の息子もいました。

岡藤は逮捕前に妻に対し

「俺が刑務所に入るようなことになったらどうする?
 やっぱり離婚だろうか」

などと言っていたようで、
家族を巻き込みたくない思いがあったのでしょうか。

実際に逮捕後に離婚したとの話もありますが、
離婚した可能性が高いだけで、
妻や子どもたちが現在どのようになっているかはわかっていません。

岡藤の現在

岡藤は現在も服役中です。
事件から25年が経過しており、2023年現在の年齢は56歳です。

無期懲役でも、服役から30年が経過すると仮釈放審理が行われる為
最短30年で出所する可能性もあります。

しかし、無期懲役の判決を受け、30年で出所したケースはほとんどなく、
反省し模範的な行動をしていたとしても、最短での出所は難しいです。

まとめ

この事件はバブル景気が引き起こした事件だとも言われています。
その理由として

・バブル景気の大量採用がなければ岡藤は富士銀行で働いていない
・バブルの土地売買が福田夫妻の埼玉県への移住につながった
・バブル崩壊による’’貸し渋り’’が、岡藤の’’浮き貸し’’の不正につながった

などが挙げられます。

また、岡藤は父がトラックドライバーとして苦労していたのを見て育ったことから、
運送業者の頼みを断りきれず、不正に手を染めてしまったとも言われています。
(これに関しては、以前も別の会社に同様の不正をしていることから、考えにくいと感じます。)

営業職をしていると、お客様からの’’信用・信頼’’の大切さは非常に感じます。
この事件の福田夫妻は岡藤の事を息子のように思い、接していたのではないでしょうか。

銀行員のノルマの厳しさや、バブル崩壊後の景気など
すべてが悪いタイミングで重なってしまったのかもしれません。

しかし、どんな理由があろうとも、関係のない人の行為を裏切り、
ましてや命を奪うということは許されなかった痛ましい事件です。

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